EXHIBITION

GALLERY GYOKUEI

川井徳寛展 ー形而上表現としての天使ー 5.10 - 5.27

川井徳寛展 

GYOKUEIにて川井徳寛展 ー形而上表現としての天使ー を開催します。

 

会期:2023年5月10日(水)−27日(土)

会場:GYOKUEI 〒107-0062 東京都港区南青山6-8-2

時間:10:30~18:30(日祝休廊)

pdf 川井徳寛展(2023) プレスリリース.pdf (1.32MB)

6elements展 4.14 - 4.25

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リニューアルしたGYOKUEIにて6elements展を開催します。

 

会期:2023年4月14日(金)−25日(火)

会場:GYOKUEI 〒107-0062 東京都港区南青山6-8-2 

時間:10:30~18:30(日祝休廊)

pdf 6e プレスリリース_compressed.pdf (0.2MB)

2020. 7.31 - 8. 4 group exhibition

2020. 7.31 - 8. 4 group exhibition

2020年7/31(金)〜8/4(火)までギャラリー玉英にて展示を行います。

 

出品作家:野口哲哉、内田望、アダム・リスター、ベルント・フリーベリ

※野口哲哉に関しては平面作品、新作版画の販売とし、3密を避けるため、抽選とさせていただきます。

 

会期:2020年7月31日(金)-8月4日(火)

※8月2日(日)は休廊

場所:ギャラリー玉英

〒107-0062 東京都港区南青山6-8-3 Rビル1F

開催時間:10:30~18:30

 

Gallery GYOKUEI will hold a group exhibition from July 31th to August 4st. 

 

Artists:Tetsuya Noguchi, Nozomu Uchida, Adam Lister, Berundt Frigberg

Tetsuya Noguchi’s work will be sold only painting and new prints. We will have raffle to avoid crowding.  

2020 July 31 Fri. - 2020 August 4 Tue.

Closed Sunday(August 2nd)

6-8-3 Minami-aoyama, Minato-ku, Tokyo

OPEN:10:30

CLOSE:18:30

2020.2.8ー26 IMAI Toshimitsu EXHIBITION 2020

IMAI Toshimitsu EXHIBITION

   

今井俊満は、オリジナリティという絶対的な他者との差異化を、自らの作品創作においてもっとも重視した画家である。オリジナリティを求め、常に新しい冒険や創造へと自らを駆り立てていくこと、これは今井がモンパルナスにおける様々な出会いの中から学んだことであった。

 1950年代、アメリカでは抽象表現主義が台頭し始め、パリではそれに対抗しようという動きが優勢となっていた。そのような最中の1952年、今井は単身フランスへと渡り、のちに親友となるノーマン・ブルムを始め、サム・フランシス、ジャン・ポール・リオペールなどの芸術家、批評家であるジョルジュ・デュテュイ、そしてアンフォルメルの提唱者であるミシェル・タピエと出会った。今井自身の回想によれば、当時のヨーロッパではモダニズムの終焉が謳われ、それに代わるものを探していた時代であったとされている。それゆえ、西洋的思考様式の乗り越えとして東洋の禅や書というものが積極的に受け入れられようとしていた状況があった。ミシェル・タピエが提唱したアンフォルメル運動もまたその流れに位置づけられるものであり、哲学的にはアリストテレス以来の合理主義へのアンチとして、そして、芸術運動としては新しい創造に向かうグローバルな運動を目指していた。アンフォルメルの描画法の特徴のひとつである、偶然性の利用には、当時の東洋的なものの積極的に受け入れるというあり方、とりわけ禅の影響をみてとれるだろう。

 1970年代から1980年代にかけて今井は、日本と西欧を行き来しながら国際的な活動を続けた。1970年代にはパリのファケッティギャラリーにて二度の個展、同じくパリのスタドラーギャラリーでの個展、そして1980年代にはポンピドゥー・センターでの滞在制作などを経て国際的な評価を得ていく。同時に、国内では、EXPO’70の企業館アートディレクターや、様々な場所での壁画制作、ファッション、音楽などとのコラボレーションを展開した。この時期の今井の絵画は、1950年代のアンフォルメルに見られた厚塗りのマチエールを排し、単色の絵の具で大きなストロークで画面を構成するあり方へと変化している。この変化は、1950年代に特徴的であったマチエールの過剰からマチエールの純化の過程として位置づけられ、記号のような筆跡はヨーロッパにおいて東洋のカリグラフィーと称された。中心が喪失された画面と空間を引き裂く筆跡は、今井にとってのアンフォルメルの臨界点であり、やがて構成的な画面構成の花鳥風月の絵画へと転回していく。

  

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Work
1959, oil on canvas, 22×23cm

 

野口哲哉展 BIAS

野口哲哉展 BIAS



令和元年の年の瀬に、ギャラリー玉英でささやかな個展を開きます。

これまで制作を通じて色々な物を煙(けむ)に巻いてきましたが、

気が付くと自分が煙に巻かれていたように思います。

“煙を吹いて躍る炎を愛せれば、思い出なんて欲しくない”

というメジャーレイザーのヒット・ソングがありますが、僕は思い出も大切だと思います。

 

だから、炎と、煙と、思い出を大切にした作品を制作しました。

年の瀬のお忙しい時期ですが、お暇がありましたらお立ち寄りください。

 

野口哲哉

 

会期:2019.12.17(火)-12.21(土)
場所:ギャラリー玉英  〒107-0062 東京都港区南青山6-8-3 Rビル1F
開催時間:10:30~18:30 (初日12月17日(火)は13時よりオープン) 

 

2019.2.12-20 今井俊満展 TOSHIMITSU IMAI

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1969年、日本橋三越本店にて『1952-1969年 今井俊満 滞欧作展』が開催された。この展覧会には1952年の渡仏以来、17年間に渡る今井の作品群が展示された。本展出品作「苔と石」(1968)もその中の一つである。

1960年代、日本におけるアンフォルメル運動はすでに終焉を迎えており、芸術をめぐる国際的な潮流もめまぐるしく変遷していった。芸術によって芸術を問うというあり方に対して、今井は「芸術運動というよりも社会現象の一部」であると批判的な態度を示している。 そのような状況を背景にしつつ、60年代初頭には、パリ、ミラノ、ウィーン、日本、ナポリなどで次々と個展を開催するなどの地道な活動を行った。50年代にはジャクソン・ポロックのドリッピングとの類似を指摘されることがあった彼の画風は、小石やワニスを使用した厚みのあるマチエールへと変化し、60年代後半には、彼の基本的要素である光、自然、行為との統合へ向かっていく。1968年「苔と石」は、今井のアンフォルメル期における集大成として位置づけられる。

1970年代後半、今井はパリのP・ファケッティギャラリーにて二度の個展を開催している。P・ファケッティギャラリーは、ジャン=デュビュッフェ、アデル、フンデルトヴァッサーなど当時の前衛芸術家を育てあげ、またヨーロッパ大陸ではじめてアメリカ抽象表現主義の展覧会を開催したギャラリーである。70年代の今井の作品は、アンフォルメル期と花鳥風月期の過渡期にあり、厚塗りのマチエールは排され、タブロー空間を引き裂くような激しい筆跡が現れるようになる。画面に描かれる諸々の記号(signe)は、パリの批評雑誌において、東洋のカリグラフィー、アラベスク模様と称された。書道や茶道に代表されるように、人間のエネルギーとそれを制限するような形式的側面が共存する当時の作品は、「人間と記号の間の闘争的なシミュラークルのなかで表面を過剰なまでに攻撃する」 と形容された。日本の伝統という自らの根源への遡行は、「Black」(1975)や「Rouge」(1975)などの形式を経て、花鳥風月へと展開していく。 

2018.11 内田望個展 Living Things

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地球上には、約1000万種の生き物がいるといわれ、それぞれの生き物は、その進化の過程において、この世界で生きるための手段を身につけてきた。一方で人間は、自分たちの有することのない能力を補うために科学的技術を生み出してきた。内田の作品は、人間の創造的産物である科学技術的な形態と、自然における有機的な生物の形態とを融合させる。両者の異質な融合によって、生物たちの特殊な能力が可視化されていく。

われわれ人間と生物たちは、異なった身体的機能を備え、異なった環境世界に住んでいるにもかかわらず、同じ場を共有し、同じ目線でそこにある。内田の世界を見るまなざしは、そのようなあり方で生物たちと共にありつつ戯れている。「creature」ではなく「Living Things」という言葉は、ゼロから作り出されたものではなく、遠くから眺めるだけの対象でもなく、世界に共に住んでいる者たちを表す言葉である。作品から感じられる暖かさやある種の可愛らしさは、内田のまなざしそのものであるといえるだろう。

Living Thingsは、内田の制作とって一貫した主題であり、本個展においては動物だけではなく、植物へと制作の領域を展開していく。

 

2018. 2 福島秀子展 HIDEKO FUKUSHIMA

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1948年、福島秀子は文化学院にて「アヴァンギャルド美術クラブ」主催の「モダンアート夏期講習会」に参加。同クラブは、瀧口修造、村井正誠、阿部展也(芳文)、岡本太郎、北脇昇、福沢一郎らを含む超党派的なグループであり、この場で福島は山口勝弘や北代省三といった、のちに「実験工房」を構成するメンバーと出会う。

瀧口修造による命名によって1951年から活動を開始した「実験工房」(秋山邦晴、今井直次、大辻清司、北代省三、駒井哲郎、佐藤慶次郎、鈴木博義、園田高弘、武満徹、福島和夫、山口勝弘、湯浅譲二、山崎英夫らが参加)では、結成時から中心的なメンバーとして主に美術・衣装を担当。また、映像作品《水泡(みなわ)は創られる》(1953/1986)では構成を担当し、音楽は実弟である作曲家・福島和夫が担当。こうした音声テープとスライドを同期させる機器「オートスライド」を用いた作品で、「実験工房」はジャンルの横断とテクノロジーとの融合を目指した。この軌跡は、同時期の「具体美術協会」の活動とともに、その後の日本におけるインターメディア・アートや反芸術といった言葉で語られる戦後日本の前衛芸術運動を構成する多種多様な表現の淵源となっていると言えるだろう。

福島はその創作の初期からドローイングを製作しており、初期の作品から見られる「顔」的なものの形象という主題によって、1940年代に同じく「顔」を中心的な主題として提示していたアンフォルメルの、日本における代表的な画家として評価された。それだけではなく、本展出品作の《C-9(コラージュ)》(1976)におけるメディアの融合、あるいは、《FROM BLUE》(1975)などで見られる色彩や輪郭のぼかしや絵具の滴りを取り入れた作品には、シュルレアリスム、アクション・ペインティング、カラー・フィールド・ペインティングやポスト・ペインタリー・アブストラクションなどそれ以前や同時代の美術潮流からの影響や共通性をうかがうことができる。また、特筆すべきは、《円》(1963)や《赤》(1960年代)で見られる瓶の蓋などにインクをつけて画面に「捺す」技法であり、近年の研究*では、アンフォルメルやアクション・ペインティング等の表現からの影響には還元することのできない独自の表現技法が注目されている。
*中嶋泉「アンチ・アクション:日本戦後絵画と女性画家(草間彌生、田中敦子、福島秀子)」、2014年、一橋大学


解説:隅田遼


Born 1927 in Nogizaka, Tokyo, Hideko Fukushima was the only female member of the Japanese avante-garde collective 'Experimental Workshop'. Her richly colored oil and watercolor works were shown at the Paris Youth Biennale in 1961 and by the Museum of Contemporary Art Tokyo. Hideko Fukushima died in 1997. (©Tate, London 2018)


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同時開催イベント「アートを/と哲学する」
ファシリテーター:永井玲衣(上智大学大学院文学研究科)
詳しくはこちら

2017.12 野口哲哉 armored neighbor 〜鎧を着た隣人〜

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17世紀初頭スペインの王宮画家ディエゴ・ベラスケスとベルギー国籍の巨匠、パウル・ルーベンスに国境を越えた親交があった事は広く知られている。ルーベンスは「バベルの塔」で知られるオランダの画家ブリューゲルの息子(植物画の名手)と合同絵画を制作した事でも有名だ。およそ同時期、闇の画家レンブラントと光の画家フェルメールが同じオランダ出身であり、活動時期に重ね代(かさねしろ)を有していた事は一般にはあまり知られていない。親子ほどしか年が違わない両者は互いの存在を認知していた可能性が高い。

では、そのレンブラントが江戸幕府3代将軍・徳川家光と一歳しか違わない事実はどうだろうか。日本で戦国時代の生き残りが「島原の乱」の鎮圧に従軍していた頃、31歳のレンブラントはアムステルダムに移住し、自身の工房を開く準備をしていた訳だ。
それから遡る事1世紀、かのイギリスの不埒王「ヘンリー8世」の肖像画を描いたハンス・ホルバインは毛利元就と同い年である。ちなみに武田信玄の父、武田信虎の生年もこの時期と云われている。
ホルバインと同じドイツ出身で、やや先輩にあたる画家ルーカス・クラナッハが生まれたのは10年戦争「応仁の乱」の真只中だ。更にイタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチやウッチェロを越えると日本は南北朝時代に差し戻り、そのまた以前、中世の画家ジョットがまだ少年で黄金背景のテンペラ絵画を教会で見つめていた頃、日本では鎌倉幕府の存亡をかけて武装した御家人たちが蒙古軍を迎え撃っていた。エルサレムの十字軍と壇ノ浦の源平が楽園の覇権を巡って並走するのは更にその100年前の出来事だ。
海を介して隣接し、空の下で繋がっている世界には無数の文明がひしめいている。絵具のメディウムをオイルから樹脂へと置き換えた仮初の灯を用いて、異なる文明が照らし出す 彼の人(かのひと)たちの姿を実験的に浮かび上がらせてみよう。

野口哲哉

The time when European culture of Gothic, Renaissance and Baroque had flourished was in fact, parallel to the stream of Medieval Japan, Sengoku and Edo period.
Numerous maestros colouring the age of Renaissance had lived in the same era as the rise and fall of Muromachi period, as the impressive painters of Baroque had shared their time axis with famous Sengoku warriors.
Giotto, who had produced sophisticated tempera works before the coming of oil paints is from Kamakura period, Cranach, known by his portraits of female beauty was born in the middle of Ōnin War, and Bruegel painted his Tower of Babel in the height of the battles of Kawanakajima.
In the early Edo period, still during the lifetime of Sengoku patriarch, Rembrandt was born a year after Tokugawa Iemitsu and presented his masterpieces in portrait to the Dutch art world.
Would the life of a person be found again through the eye of someone else?Let me search for people from the eyes of my neighbours far in the past.

Tetsuya Noguchi

 

2017. 7-8 野口哲哉 ドローイング展 ~鎧と鉛筆~

僕はいつも生活の中で沢山のスケッチやデッサンを描きます。
その理由の一つは、自分の基礎訓練の為で、人体や鎧兜のプロポーションをしっかりと把握する事にあります。もう一つは、作品に至るイマジネーションを膨らませ、下図の代わりとして作画する物です。
知識としての解剖学や、実用的なプロポーションの把握、学問としての鎧兜の沿革や、大胆な推理や発想による新しい仮説など、すべては紙の上での視覚化が可能であり、言葉を絵に置き換えて表現出来る事に、絵を描く愉しさの本質があります。
僕の今までの制作の中から、鉛筆や水彩絵の具、マーカーなどで作画したデッサンを百数十点、抜粋しました。小規模な展示ですが、宜しければ、是非ご高覧下さい。

野口哲哉

Producing numerous sketches and drawing works is a natural part of my life.
One reason to this is for my basic skills training to accurately capture the proportion of armours and human body. Another is to feed my imagination towards creating the actual piece where sketches are turned into a prototype. 
Whether it is my knowledge on anatomy read from books, practical study of human proportion or historical facts on Japanese armours and their new hypothesis derived from adventurous theories and ideas, they could be all transferred into something visible on paper. The joy in the act of drawing lies in its nature of transforming something verbal into visible.
This time I have chosen over hundred drawings in pencil, watercolours, felt-tipped pen and other media from my past production. It would be my great pleasure if you enjoy my small exhibition.

Tetsuya Noguchi

2016.12 野口哲哉個展 ANTIQUE HUMAN

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“アンティーク・ヒューマン”とは過去の人間です。 でもそれは、過去のルールに適合しただけの、同じ人間です。 その姿に垣間見る文明としての奥行きをアートの観点から見つめてみたいと思います。

野口哲哉

 

 

2016. 9 内田望個展 Animal Ability

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