EXHIBITION

GALLERY GYOKUEI

2018. 2 福島秀子展 HIDEKO FUKUSHIMA

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1948年、福島秀子は文化学院にて「アヴァンギャルド美術クラブ」主催の「モダンアート夏期講習会」に参加。同クラブは、瀧口修造、村井正誠、阿部展也(芳文)、岡本太郎、北脇昇、福沢一郎らを含む超党派的なグループであり、この場で福島は山口勝弘や北代省三といった、のちに「実験工房」を構成するメンバーと出会う。

瀧口修造による命名によって1951年から活動を開始した「実験工房」(秋山邦晴、今井直次、大辻清司、北代省三、駒井哲郎、佐藤慶次郎、鈴木博義、園田高弘、武満徹、福島和夫、山口勝弘、湯浅譲二、山崎英夫らが参加)では、結成時から中心的なメンバーとして主に美術・衣装を担当。また、映像作品《水泡(みなわ)は創られる》(1953/1986)では構成を担当し、音楽は実弟である作曲家・福島和夫が担当。こうした音声テープとスライドを同期させる機器「オートスライド」を用いた作品で、「実験工房」はジャンルの横断とテクノロジーとの融合を目指した。この軌跡は、同時期の「具体美術協会」の活動とともに、その後の日本におけるインターメディア・アートや反芸術といった言葉で語られる戦後日本の前衛芸術運動を構成する多種多様な表現の淵源となっていると言えるだろう。

福島はその創作の初期からドローイングを製作しており、初期の作品から見られる「顔」的なものの形象という主題によって、1940年代に同じく「顔」を中心的な主題として提示していたアンフォルメルの、日本における代表的な画家として評価された。それだけではなく、本展出品作の《C-9(コラージュ)》(1976)におけるメディアの融合、あるいは、《FROM BLUE》(1975)などで見られる色彩や輪郭のぼかしや絵具の滴りを取り入れた作品には、シュルレアリスム、アクション・ペインティング、カラー・フィールド・ペインティングやポスト・ペインタリー・アブストラクションなどそれ以前や同時代の美術潮流からの影響や共通性をうかがうことができる。また、特筆すべきは、《円》(1963)や《赤》(1960年代)で見られる瓶の蓋などにインクをつけて画面に「捺す」技法であり、近年の研究*では、アンフォルメルやアクション・ペインティング等の表現からの影響には還元することのできない独自の表現技法が注目されている。
*中嶋泉「アンチ・アクション:日本戦後絵画と女性画家(草間彌生、田中敦子、福島秀子)」、2014年、一橋大学


解説:隅田遼


Born 1927 in Nogizaka, Tokyo, Hideko Fukushima was the only female member of the Japanese avante-garde collective 'Experimental Workshop'. Her richly colored oil and watercolor works were shown at the Paris Youth Biennale in 1961 and by the Museum of Contemporary Art Tokyo. Hideko Fukushima died in 1997. (©Tate, London 2018)


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同時開催イベント「アートを/と哲学する」
ファシリテーター:永井玲衣(上智大学大学院文学研究科)
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