EXHIBITION

GALLERY GYOKUEI

2020.2.8ー26 IMAI Toshimitsu EXHIBITION 2020

IMAI Toshimitsu EXHIBITION

   

今井俊満は、オリジナリティという絶対的な他者との差異化を、自らの作品創作においてもっとも重視した画家である。オリジナリティを求め、常に新しい冒険や創造へと自らを駆り立てていくこと、これは今井がモンパルナスにおける様々な出会いの中から学んだことであった。

 1950年代、アメリカでは抽象表現主義が台頭し始め、パリではそれに対抗しようという動きが優勢となっていた。そのような最中の1952年、今井は単身フランスへと渡り、のちに親友となるノーマン・ブルムを始め、サム・フランシス、ジャン・ポール・リオペールなどの芸術家、批評家であるジョルジュ・デュテュイ、そしてアンフォルメルの提唱者であるミシェル・タピエと出会った。今井自身の回想によれば、当時のヨーロッパではモダニズムの終焉が謳われ、それに代わるものを探していた時代であったとされている。それゆえ、西洋的思考様式の乗り越えとして東洋の禅や書というものが積極的に受け入れられようとしていた状況があった。ミシェル・タピエが提唱したアンフォルメル運動もまたその流れに位置づけられるものであり、哲学的にはアリストテレス以来の合理主義へのアンチとして、そして、芸術運動としては新しい創造に向かうグローバルな運動を目指していた。アンフォルメルの描画法の特徴のひとつである、偶然性の利用には、当時の東洋的なものの積極的に受け入れるというあり方、とりわけ禅の影響をみてとれるだろう。

 1970年代から1980年代にかけて今井は、日本と西欧を行き来しながら国際的な活動を続けた。1970年代にはパリのファケッティギャラリーにて二度の個展、同じくパリのスタドラーギャラリーでの個展、そして1980年代にはポンピドゥー・センターでの滞在制作などを経て国際的な評価を得ていく。同時に、国内では、EXPO’70の企業館アートディレクターや、様々な場所での壁画制作、ファッション、音楽などとのコラボレーションを展開した。この時期の今井の絵画は、1950年代のアンフォルメルに見られた厚塗りのマチエールを排し、単色の絵の具で大きなストロークで画面を構成するあり方へと変化している。この変化は、1950年代に特徴的であったマチエールの過剰からマチエールの純化の過程として位置づけられ、記号のような筆跡はヨーロッパにおいて東洋のカリグラフィーと称された。中心が喪失された画面と空間を引き裂く筆跡は、今井にとってのアンフォルメルの臨界点であり、やがて構成的な画面構成の花鳥風月の絵画へと転回していく。

  

 今井案内用小.jpg

Work
1959, oil on canvas, 22×23cm